食えない面々

大阪の夜景




先日カレーうどんを作った。
同研究室のS嬢に以前頂いたとある乾燥うどんを使って。


そのうどんすごく変わっていてぺらぺらなのです。


きしめんより幅広で約2cmほど。
厚さは茹でる前は1mmあるかないか。


これを乾燥したまま具と一緒に煮込んだ和風カレーの中へ。
すると2,3分で柔らかくなり美味しく頂けるとのこと。


しかし・・・
かなりこまめにかき混ぜたにもかかわらず
うどんの大半は、うどん同士がくっついて変な塊か、
ただの分厚いうどんに成り果てていた。


でもまぁ、それも美味しそうに見えたので食しました。


んーーーーーー・・・
ちゃんと一本になっているうどんは本当美味しいのです。
カレーと絡んで最高の食感!


んーーーーーー・・・
しかし、くっついちまった分厚いうどん、歯ごたえがありすぎるし、
くっついた部分はまだ乾燥気味、しかもカレーに絡みにくい。


変な塊に成り果てたやつらに至っては
中は生だし、すいとんよりずっと硬いし、見た目も崩れた餅のよう。
もちろんカレーになんて絡まない。ただの小麦粉の塊である。


うどん自体は最高に美味しいし
カレースープの味付けはばっちりだったのに。


前置きが非常に長かったですが・・・
「おぉこれって人間みたいー」などと考えながら食えない麺々(面々)を食しました。


人間みたいですよ、ほんと。


一人一人色んな可能性をもって生み出されて
 (うどんだったら美味しくなるよに作られて)
色んな人間と出会いながら
 (同じうどんと袋詰めされて)
考えたり、自分というもんが出来上がっていく・・
 (袋の中でしばし寝かされる)
それを自覚して自分を大事にしていれば
 (スープに絡ませつつ、うどん同士はくっつかないよにかき混ぜて)
環境が悪くてもその人自身は保たれ、生きていける。
 (どんなスープの中でもうどん自体は美味いはず)


反対に、自分があるのに見ないようにして
周りに同調してばかりだったり、誰かを追いかけてばかりいると
一つの集団の中でかすんで見えなくなる。


勿論そこに存在するし、よく見ればちゃんと素敵な要素を抱えているのに
一塊の食えない面々になることがある。
一つ一つの美味しさを潰して、美味しくも美しくもない塊。


一致団結して何かを成し遂げるのとは違う、
ただの変な塊。
食えない。


一人一人は確かに、生まれたときには色んな可能性があったはずで
生まれながらに食えないやつなんていないはずで。


それぞれの育つ環境や周りの人間によって
一人一人の人間は、一律赤ん坊から誰それさんへと成長して
色んな特徴(旨味)を持った一人の人間になる。


食えない面々は
一人一人見ると(じっくり付き合ってみると)案外面白い人間だったりするのに
変な波に飲まれて、そこはいいだろ!って時も、
誰かと一緒じゃないと駄目だったり
誰かに強く影響されっぱなしだったりする。


これは学校の中の小さなグループだったり
一つの国という大きな組織だったり規模は様々だ。


そうなると個人の面白味なんてもう分からない。
一つの似たような塊だったり
ぐちゃぐちゃの変な塊になっている。


美味しいはずなのに勿体無い。


だから、間合いを上手く取るというか・・
でもそんなこと常に頭で考えてたら打算的になってしまうが・・、
各自の旨味を生かして調理してくれる環境を見つけて
自分がどれだけ美味いのかを各自が自覚していれば
すっごく美味しいことになる・・はずなんだけど。


ちょっと短絡的か。
でもそんなこと考えて食べるカレーうどん
美味しいとこと変な塊、選んで食べて、
変な塊は、後からぐつぐつ柔らかくなるまで煮込みなおしました。


そうなんすよね
変な塊も、塊で終わると決まったわけではない。
やりようによっちゃ美味しい塊になることもある。


だからどんな環境にいてもあきらめるのと
そうでないのではやっぱ違うってことなのか?


んんーーまた綺麗事って言われるのかな。