認めたくない

認めたくはありませんが
堂々と言うことでもないですが
私の部屋は物が多すぎる。
しかも汚い。


けれど
誰かが家に来る時は必死に片付けをしておく為
普段の生活ぶりは多分誰にも想像できないと思われる。


片付けが嫌いという訳ではないと思う。
むしろ模様替えは大好きだし、
より生活しやすいように思考錯誤するのも大好き。


なんでこんな部屋が汚いんだ?
思えば実家暮らしの時から
あまり自分の部屋は綺麗ではなかった。
それでも今よりはいくらかましだった気がする。


しかし
実家に帰ると実家の局所的な整理整頓のされなさ具合に
一人騒ぎ立て、何日もかけて大掃除をする。

「なんでこんなぐちゃぐちゃで平気なんー!」
「モノが出しにくい!引き出しん中くらい片付けろ!」
ブツブツ文句言いながらも徹底的にやらないと気が済まない。


そんな私の今の部屋は本当に汚い。
私は何がしたいのだろう。
この片付けられなさには何か意味があるのだろうか。


片付けは嫌いではない…本当に嫌いではないのだ。
ただ、
片付けの最中で片付けに飽きる。
他のことが気になってくるのだ。


片付けの真っ最中でもそういえば牛乳がないなと気付けば
牛乳買いに走ってしまう。
勿論帰ってきても既に片付け熱は冷めている為
別のことをしてしまう。

それを延々に繰り返す。
そんな訳で、私の部屋はいつも一部分だけが異様に綺麗だ。



ところで
私のように部屋があまり綺麗でない人の中には
そんなこと気にせず他人を部屋に呼べる人達がいる。


私もそんな家に行った事があるがすごいと思う。何がって
「部屋を片付けずによく人を入れるよな、すごい神経…!」
って意味では勿論なくて
「なんでそんな自然体でいられるの?すごい!羨ましい!格好良い!」
という意味のすごいだ。


部屋は普段その人が生活している場なのだから
その人を表す要素に十分に成り得る。
普段の生活ぶりをそのまま見せられる人というのは
良い意味で飾り気がない素直な人なのだなと思える。


人が来るからという理由で部屋を片付ける私が、ええかっこしぃである可能性は
極めて高い。


しかし
私のような性格の者が片付けることをやめるということは
すなわち
自分を見捨てることに繋がる為
気を付けなければならない。


汚い部屋を認めるか
(どんな自分でも許す)
常に綺麗さを保つか
(常に心穏やか)


どっちかだ。