大切なひと

何を見る?




私の中に自殺という選択肢は存在しない。
しかし
自殺する人や、死にたいという感情を持つ人に対して
軽蔑することもないし、非難もしない。


今回の出来事で私は今までにない憤りを感じていた。
(現在進行形であるが)


何も伝わらない、伝えても遮断される、
けれど相手の言い分だけが降り注いでくる。
こんなの耐えられん。


私が全ての気持ちを書き残して死ねば、気持ちは伝わるのだろうか
と考えたことがある。


私にとって自殺は何かを訴える手段だ。


逃げる為、何かから開放される為、つまり自分を助ける為というよりは
何か伝えたいことがあるのに
全く違う解釈をされたり
酷い誤解をされたり、
何も信じてもらえないとき、
死ぬことで「あぁ本気やったんや」と気付かせることができるのではないか
と思っている。


私は今回のことで本当に行き詰った。
なんで何も伝わらないのだろう。
その人の本質を今まで私が見抜けなかっただけ?
そんな単純なことなのかな。


嫌でも何でもまだ続いてく関係。


けれど、その人の心にはもう私は映らない。
目では見えてるしきっと会話もするだろう。
けれど、今までの私は殺されたも同然。
ただ、軽蔑の対象として映るだけ。


だから私はもし自殺をするならこの時しかないと思った。
相手はきっと動揺するだろう。
動揺はするだろうけど・・・私は人生に絶望したわけではない。
その人に絶望しただけだ。


なんでその人に自分の思いを伝える為に死なにゃならんのだ。
ううん・・・よくよく考えたらおかしい。
思いは自殺によってその人に伝わるかもしれないが
死んでまで思いを伝えるような相手なのだろうか?
・・・なんか違う。


今はものすごく嫌な状態ではあるが
こういうことは時間が中和してくれることが多い。
時間は生きていないと実感できない。
死んだらその人の時間はそこで止まってしまう。
生きていれば時間が流れる。
辛いんだけど、多分いつかどうにかなる。


こんな状況でも私は死ぬことを選ばなかった。
だから私はこれから先、一生自殺はできないだろう。



ここで話を終わろうと思っていたがなんだか暗すぎる。
24日にちなんで(思い違い!?)私の大切な人の話をしようと思う。


私には心から尊敬する本当に本当に大好きな人がいる。
その人はもういないけど。
自殺してしまった。


誰かに何かを訴える為でもなく、この世界に絶望したわけでもなく、
ただ自分に絶望して死んでしまった。


遺書もなんだかおちゃらけていたなぁ〜。
何なんだあれは。


男も女も親も子供も関係なく
ただ皆が許し合い
それが本当の人間というもので


と言いつつも、


自分は何も与えることができない・・・
何の為にいるんでしょうねぇ〜〜〜
こんなヤツもいるんだって事くらいかな


と言っている。


そこまでわかってるなら生きて恥でも何でも晒せよ!
と思うが、それは私の欲望であって、
その人はただ生きることだけは、もうできなかったのだと思う。


死ねて本望ならその人を否定はしない。
ただ私の心情はそんな簡単なもんではない。
その人にとって自殺は唯一の救いで、
私にとってその人の自殺は絶望である。


今でも毎日毎日その人の事を考える。
よく二人で話をしていた。
しょうもない話をしても長い時間付き合ってくれた。


自分を信じることができない人間は駄目だ


とよく言っていた。
だから私は自分を信じたい。
今の私にはまだ綺麗事で、信じるに値するものを持っていないから
信じているとは言えないが、
信じようとして生きていきたいと思っている。


やりたいこともこんなに見えていて
こんなとこで行き詰まってる場合ではない。


その人の分まで、私はこの世界を見ていくってずっと決めていた。
私が心を閉ざして内にこもったら何も見えてこない。
何で生き残ったのかわからなくなる。


その人のお陰で今の自分でいるんだといつも思う。
もしその人が自殺をしていなかったら
私はもっと馬鹿だった気がする。
物事を深く考えない人間に(悪い意味で)なっていたのではと思う。
死んだら、その人にとっては意味のないことだが
残った者に与える影響は大きい。


そこで絶望のまま身動きが取れなくなるか、光を探しに歩き出すか。
死んだ人にとっちゃ関係ないんだろうが。
でも私はその人を想ってこれからも生きていくことになるだろう。
その人に捉われて生きていくわけではない。
日々の生活の中でその人を感じて生きていきたい。


一つだけ残念なこと。
もう言葉を交わせないこと。
私に意見してくれない。
それはとても切ない。


それだけに、私にとって新しい人との出会いというのは
ほんとーーーーーーーーーーーーーーーーーーに
貴重で胸躍る出来事なのである。
人見知りがだんだんかたちを変えてきたのも
このお陰かもしれない。


私はまだまだたくさんの人と出会ってたくさん話がしたい。
いろんな人の心に触れてもっともっと感情を揺さぶられたい。
形だけの会話じゃなくて
少しの時間でもいいから
心に触れながら話がしたい。


それだけでも生きてく為の光は見えてると思う。