目を見て話してみるかい?

大寒波らしい




私は人見知りである。
多分。普段は。


けれど話したい人や状況の中にいると
あまり後先考えず行動している自分がいる。
これって人見知りなのか??


とくに、自分一人の時のほうが人見知りをしない。
誰か友達(家族も含め)と一緒の時に新しい出会いを前にすると
人見知りをしている。


なんでだ?


新しい出会いにワクワクしている自分を見せたくないのだろうか。
緊張している自分を見ている友達の目が気になって
思うように動けないのだろうか・・・?


わからん。


そんな私であるが
やらなきゃなんねぇときは(と自分で思う場面は)やるんです。


恥ずかしいけど言っちまおう。
愛の告白である。(ううん・・・言い回しがヤバイね)


これは顔を見てやることが醍醐味だと私は思っている。
かつて手紙で思いを伝えたことって多分一度しかない。


手紙も電話も、今の時代ならメールだと
どんな状況でどんな顔して思いを受け取ってるのか、なかなか見えないからだ。


勿論顔つき合わせていたって、腹ん中では上の空かもしれないことも承知してるが・・。
けど、
手紙より電話よりメールよりも一番心に近いのは
やっぱり本人の顔を見ながら思いを告げることだと思っている。


手紙だとゆっくり落ち着いて内容を練ることができる。
電話だと緊張した自分の姿を見せなくてすむ。
メールだと照れくさいこともなんだか簡単に打てる。


けど・・・・でも!!
相手の顔を見ながら自分の思いを伝えるのって、ほんとにゾクゾクしますのよ。
これで相手も自分のこと好きだったりしたら失禁寸前なのだが
たとえ残念な結果になっても、得られるものは大変大きい。


びっくりした相手の表情が見られる。
困った顔が拝める。
嬉しそうな顔をしてくれる。
私の思いに対して、顔を見ながら自分の考えを話してくれる。


顔見てやらないとわからないことばかり。


私と話したことのある人はわかると思うのだが
普段の私はこんなにすらすら言葉が出てこない。
標準語でもないし、会話の中でよく考え込むし、「何て言ったらいいん」が口癖だし。


人と話すことが好きで、文章書くのも好き。
人に褒められるのは文章書くほう。
私の会話はわかりにくいらしい。


文章は練ることができるからね。書き直せるし。


会話だと口から出た言葉はすぐ相手に伝わる。
だから、自分のこともよくわかるし
文章を書くことよりも難しい。
文章だと時として、一方通行の独りよがりに陥る。
まぁそれは会話にも言えることなのだが・・。


愛の告白に限らず
顔見て話すことの楽しさ、重要さ、最近ほんと強く感じる。
メールだけ、電話だけ、それで満足できたらちょっと怖いぞ。


「目を見て話してみる会」
ただ今会員募集中な〜〜〜りよ。へへ。